マケドニアの  <歴史・人物・天文学>

アレクサンドロス大王によるペルシア征服などにより、ギリシア世界はオリエント地域を含めて大きく拡大した。

大王の死後、その領土はマケドニア、エジプト、シリアの3王国に分かれた。

なかで、エジプトを治めたプトレマイオス王朝は経済的にも文化的にももっとも栄えた。

ヘレニズム時代の到来である。

その首都アレクサンドリアには、ムセイオンとよばれる大規模な学術研究所が設立され、そこには大図書館をはじめ、動・植物園や天文観測所、不老長寿の薬を研究する一種の化学研究施設や解剖室が設置され、各地から国費で学生、研究者が集められ、主として文学、数学、天文学、医学の研究に従事した。

とくに科学分野の研究では、狭いギリシア社会と違って広大に開かれた世界となったこともあって、一方では、従来のギリシア科学の成果を改良しながら再形成する仕事がなされたが、他方では、理論と実際とが一致するような新しい科学を求める風潮も強まってきた。そうした科学者たちとその研究業績は次のようである。

ユークリッドは先人の数多くの数学的業績を『ストイケイア』Stoicheiaにまとめた。

この著は初等幾何学の入門書としては匹敵するものがないほどの名著であり、その周到な体系化と精確な論理性とは19世紀までその権威を維持した。

ペルゲのアポロニオスは、メナイクモスらの始めた円錐曲線論をさらに一般化し、近代的ともいえる円錐曲線論を展開した。

また天動説での惑星の不規則運動を説明する方法として周転円と離心円とを唱えた。

アルキメデスは理論と実際との一致を深く意識して、数学の未開の分野を、ギリシア人が軽視した計算と実験を駆使して開拓、「アルキメデスの原理」の発見をはじめ、多くの科学史に残る業績をあげた。

エラトステネスはそれまでの空想的な世界地図を捨て、経緯度線を引いた実際的な世界地図を作製したほか、地球の全周(大円)を日時計を使って測定し、4万5000キロメートル(実際は4万キロメートル)と算出した。

アリスタルコスは、コペルニクスよりも1800年も以前に、太陽を中心とした地動説を提起したが、当時は顧みられなかった。

ヒッパルコスは天動説を固持しながらも天文観測に打ち込み、歳差現象など重要な天体現象を発見した。
update:2010年02月01日